もう一人のあろまナース

2007.03.09
彼女のことを”あろまナース”
といっていいかどうかはわからないけれど、
私には心強いもう一人のあろまナースがいる。

彼女とはアロマのスクールで出逢ったのだが、彼女も元看護師で、
私以上にヒーリングに関しては色々な引き出しを持っている。

久しぶりに彼女と電話で話をして、見えなくなっていた色々なことが見えてきた。私は少し周りが見えなくなっていたかもしれないと思った。

自分のことばかりで、本来の目的を見失っていたと思う。
私がアロマセラピストとしてやっていこうと思ったのは
自分自身のためだけではない。

自分が感じたように、周りの人にも本来の自分の姿を思い出して欲しい、そう願ったからこの仕事を選んだのだ。
アロマやレメディはその手助けをするのに良い手段だと思ったからだ。

開業するにあたり、お金についての勉強も浅いながらも学んでみて、
色々なことに気が付く。
雇われて、給料明細の手取り金額しか見ていなかった自分を情けなく思った。

今日は市役所へ行き、国民健康保険と任意継続保険のどちらが安いか調べてもらったのだが、改めて今までの所得の多さや、人任せだった見えないお金について考えさせられた。
(退職を考えている方、辞めた後もお金かかるんですよ!)


ちょっと話がズレたが、そのもう一人のあろまナースに言われ
気が付いたことがあった。

医師も、ターミナルの患者も、私達看護師も「一人の人間である」ということ。未熟ながらも医師は自分のもつ知識を最大限に駆使して治療にあたったのだろう。患者も緩和ケア病棟ではないうちの病院を選んだことに意味があって、あと少しの命だが”同じ今を生きている一人の人間なんだよね”と彼女は言った。

ターミナルだから色々してあげたい、
人生の終わりに誰かが一生懸命になってもいいじゃないか、
その気持ちはやはり変わらないが、
少し視点を変えたほうがいいような気がしてきた。

今、患者はセデーションのお陰で、あの痛みはなんだったんだ!ってぐらいに穏やかな表情でスヤスヤ眠っている。
もう声かけに目も開けることはないし、何をしても痛がることもない。
話ができなくなる淋しさや、死期が早まるかもしれない危険も妻にはどうでもよかったことで、

助かる病気ではないんだから、痛みだけは取ってやってほしかった、
もっと早くやってほしかったと残念そうに話されていた。
その切なる思いを自分は深いところまで読み取れなかったと反省した。

患者の穏やかな顔を見た時、
”ああ〜、ホントにそうだよ、なんでもっと早くやってあげなかったんだろ、かわいそうだったな”とまたまた泣けた。

今スヤスヤ眠る患者の魂は、きっとあの世へ帰る準備中かな・・・
最期の望みだった痛みがとれてホッとしているんだろうな。
もうすぐ今生を卒業していく患者にできることは少ない。

最期にどうしても自分が看取りたいと無理な勤務をしてきたが、
もう私も思い残すことはない。
痛みがなくなった時点で全ての人が安心できたのだし、
もう誰の手で送られてもいい、そんなふうに思えてきた。

それもこれも、自分のもつ観念についてもう一人のあろまナースが
私に気づきを与えてくれたからだ。
あろまナースよ、ありがとう!感謝します。