≪02  2007/03  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31  04≫
2007-03-04(Sun)

タイミング

”看護師を辞めて自分らしく生きていこう”
そう決意したのは、ある人から借りた1冊の本がきっかけだった。
その本のタイトルは「神との対話」

精神世界について書かれた本をかなり読んではきたが、
何年か前に、立ち読みしたときには”なんだかわかんないや”と
棚に戻した本だったのだが・・・

私は物事にはタイミングがあると思っている。
その時だったからこそ、自然に本の内容が意識の中に入ってきた。
タイミングが間違っていれば、読まずにそのまま返していただろう。

このブログを読んでくださっている皆さんにも
自分の人生を振り返ってみていただきたい。

「なぜわたしはここにいるのか」

これを時間をかけてじっくり考えて、
できれば紙に書き出してみるとよい。
10分間意識を集中してひたすら書きだしてみる。

書き終えたらもう一度
「なぜわたしはここにいるのか」と自らに問いかける。
これを20回繰り返す。
書き出された答えはあなたに目から鱗の気づきを与えてくれる。

私はこのエクササイズで、全ては一つにつながっていて
だからこそ今の自分がいること、この場所にいること、
そして全てのことや人との出会いは完璧なタイミングがあり
意味があったのだと感じることができた。


(ここからは、コメントをくださった方へのメッセージです)
人にはそれぞれの生き方があって、
私は結婚もしていないし、子供もいないからその分自分の為に
お金や時間を使うことができた。
だけど、私には家庭を持つ大変さや、子供を産んで育てる喜びや苦労は
まだ経験できないでいる。

よくどちらが幸せかって聞かれることがあるけれど、
幸せは自分の心が決めるものだということは、
今や誰もが知っていることだろう。

みんなそれぞれに悩みはあるだろうが、
今の自分にOKを出してあげてほしい。
必要な時がくれば、神様は必ずあなたにそのチャンスを与えてくれる。
目の前に現れた時にそれをクリアしていけばいいだけなのだ。




「タイミング」ということに関して一つ書きたいことがる。

少し前に、先の末期がん患者に甥を紹介された私は
なんだか気恥ずかしくて、患者に何も言えずにいた。
「とにかくいい奴だから会ってみな」と何度も何度も私にすすめてくれて、自分の命が短いというのに、痛い右手で必死にその人の住所や電話番号を書いた紙を渡されたのだ。
それは広告の裏の切れ端だった。


いつも2人がどうなったかと心配していた。
あまりにしつこいので
「もう私のことはいいから、自分のことだけを考えて下さい!」
そう強く言ってからは何も聞かれなくなった。
それがなんだか逆に気になってしまい、
2人の仲がどうなるかに関わらず、私は患者に御礼を言わなければと
何か強い力に動かされている気がしてきた。

今のうちに言っておかなければと強く思った。
痛み止めで何も分からなくなってしまう前に。

面会人のいない昼ごはんの頃を見計らい部屋に行き
「○○さんを紹介してくれてありがとうね」と
患者に言うと、始めは誰のことだか理解できなかった様子だったが
妻がその甥の下の名前を言うと
「ああ〜。どーいたしましてーー」
と無表情で、抑揚のない返事が返ってきた。
部屋を出たらもう私の涙腺は我慢しきれず、
休憩室には先輩が1人いたのだけれど泣いてしまった。

もう少し分かるうちに御礼を言えば喜ばせてあげられたかもしれなかった。でも、今思うとあの日以降、人別がつかなくなっていった気がする。だから、あの時ありがとうと言えたことは、
タイミングとして間違っていなかった、そう思う。

心の底から湧いてくるような衝動は無視してはならない。
自分の心の声や感情には常に耳を傾け、
直感に従って、タイミングの波に乗って生きていこう。

さて、甥との仲、気になりますか?(*^_^*)
それはまた別の機会に・・・









2007-03-04(Sun)

眉間のしわ

先の末期がん患者の話。
鎮痛剤の持続注入開始から10日が経った。
ウトウトと1日中寝ている日もあれば、
「痛いよ〜、せんせ〜」と苦しんだりと日々様子は違う。

もう私のことは誰だか分からないのは勿論、
妻のことも人別できていないようである。

患者の今の望みはたった一つ。
「痛みをとってほしい」
私にはそう思えた。妻にも言ってみたが、
「私もそう思う」という答えだった。

患者の視点は目の前の妻や私にはない。
一体何を思い、何を見ているのだろう・・・
眉間のしわは、患者の身体的な痛みと
”こんなに痛いのにどうして痛みをとってくれないんだ”
という心の痛みを表しているように思えた。

元気な時(まだ歩けていた時)から、そんなに愛想のいい人ではなかったけれど、こんなに痛そうなしわはよっていなかったな・・・
そう思いながら額に手を当てた。

痛みの強い時に薬を早送りして、効いてくるまでには時間がかかる。
忙しい時、他にやらなければならないことがある時、
他の患者に呼ばれてしまった時は、早送りだけして退室してしまうが、今日の私はフリーの状態だった。

今日は痛みの場所すら訴えられない患者の胸に手を当てて、
痛みが治まってくるのを待った。
当然すぐには効いてはこない。

妻に聞くと、「1時間ぐらいするとやっと効いてくるみたいね」
とのことだった。
”いつもその時間をこの人は一緒に苦しんでいたのか”
今更ながら家族の心の痛みにも気づかされる。

いつもなら妻と会話しながら様子をみるのだが、
今日は言葉なく、ただ胸に手を当て、手をさすったり、握ったりしていた。それでも痛くて、患者の手は私達の手を軽く振り払う。

これはもう、思いの届かない片思いみたいなもので、
どんなに思っても通じない思いとでもいおうか、
なんだかちょっと切なかった。

意識がはっきりしていた頃は、確かに通じ合っていたはずの心が
今は伝わらない。伝わっているのかもしれないけれど、
痛みをとる代わりに、その辺の回路も遮断されてしまったのかもしれない。意識を残したまま痛みをとる緩和ケアがあったらいいのに。









プロフィール
かに座・戌年・A型。看護師・英国IFA認定アロマセラピスト

Author:あろまなーす

最近の記事
月別アーカイブ
FC2カウンター
リンク